無価値感と罪悪感をくるくると使いこなすわたしたち
わたしたちは「無価値感と罪悪感」をクルクルとめまぐるしく使いこなしています
感情を内側に向けて自分を責め、自分を傷つけることを「陰」、
感情を外側に向けて他者を責めて、他者を傷つけることを「陽」とします。
同じ感情の矢印をどこに向けるかによって様々な体験経験をすることができます。
仕事などでなにかミスをして
「どうしよう」「恥ずかしい」「わたしのせいだと怒られる」「自分の非を認めたくない」「誰かのせいにしたい」と罪悪感や無価値感の「陰」の部分である「自分を貶(おとしめる)める心」を使い回し、
反対に誰かのミスを見つけたら
「あの人のせい」「どうしてくれるんだ」「あの人に自分の非を認めて欲しい」
「謝って欲しい」
と同じ罪悪感、無価値感の「陽」の部分、「他人を貶める心」を使い回します。
ここにスパイスとして、まだ起こっていない未来の想像である
みんなの前でミスを責められて恥ずかしめられている
謝っているのに、相手に許してもらえない、呆れられた
などのイメージを膨らませて、過去での体験を加えたりしてもっともっと無価値感や罪悪感を感じます。
ほとんどの感情はこの2つを元に発生しているといっても良いくらいに、見栄、嫉妬、不安、悲しみ、苦しみ、優越、支配、と形を変えていきます。
すべてのしがらみをなくして
「わたしのミスは謝ることが、わたしのしたいこと、ただ自分に誠実にあるためにそうする」
「ごめんなさい」と謝られたら「これからはこうしてくださいね」そう言うことが自分に誠実であることだからそうする。
ただそれだけで良いのです。
責めることも、罪悪感を感じすぎることもなく、相手と自分の生き方を尊重する
風通しの良い関係へと向かうのが統合を起こして行くということなのです。
同じ感情を使いこなしてわたしたちは長い輪廻を生きてきました。
いよいよその歴史を終えていく。
完了するからこそ、次の世界が視えてきます。
統合を起こしてわたしが1番幸せだったことは、この世界の重厚な感謝に触れていくことでした。
この感覚を知らなかったらわたしの人生は無味でした。
学びを違え、ここで生きるすべての存在に心から祝福を送り続け、また次のステップへ進んでいきたいと思います。
感情を内側に向けて自分を責め、自分を傷つけることを「陰」、
感情を外側に向けて他者を責めて、他者を傷つけることを「陽」とします。
同じ感情の矢印をどこに向けるかによって様々な体験経験をすることができます。
仕事などでなにかミスをして
「どうしよう」「恥ずかしい」「わたしのせいだと怒られる」「自分の非を認めたくない」「誰かのせいにしたい」と罪悪感や無価値感の「陰」の部分である「自分を貶(おとしめる)める心」を使い回し、
反対に誰かのミスを見つけたら
「あの人のせい」「どうしてくれるんだ」「あの人に自分の非を認めて欲しい」
「謝って欲しい」
と同じ罪悪感、無価値感の「陽」の部分、「他人を貶める心」を使い回します。
ここにスパイスとして、まだ起こっていない未来の想像である
みんなの前でミスを責められて恥ずかしめられている
謝っているのに、相手に許してもらえない、呆れられた
などのイメージを膨らませて、過去での体験を加えたりしてもっともっと無価値感や罪悪感を感じます。
ほとんどの感情はこの2つを元に発生しているといっても良いくらいに、見栄、嫉妬、不安、悲しみ、苦しみ、優越、支配、と形を変えていきます。
すべてのしがらみをなくして
「わたしのミスは謝ることが、わたしのしたいこと、ただ自分に誠実にあるためにそうする」
「ごめんなさい」と謝られたら「これからはこうしてくださいね」そう言うことが自分に誠実であることだからそうする。
ただそれだけで良いのです。
責めることも、罪悪感を感じすぎることもなく、相手と自分の生き方を尊重する
風通しの良い関係へと向かうのが統合を起こして行くということなのです。
同じ感情を使いこなしてわたしたちは長い輪廻を生きてきました。
いよいよその歴史を終えていく。
完了するからこそ、次の世界が視えてきます。
統合を起こしてわたしが1番幸せだったことは、この世界の重厚な感謝に触れていくことでした。
この感覚を知らなかったらわたしの人生は無味でした。
学びを違え、ここで生きるすべての存在に心から祝福を送り続け、また次のステップへ進んでいきたいと思います。
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