シェアについて✨
シェアについて時々ご質問をいただきます。
わたしの音源に関しては「あなたの本質の愛と調和と平和」の元でどうぞご自由になさってください。
わたしの仕事はただ一つです。
「一人でも多くの方に宇宙の爆風の外、無条件の愛の意識」へと向かっていただくこと。
シェアについては、その方それぞれで良いと思っています。
それぞれの方にそれぞれ考え方があり、その方の真実なのでしょう。
だから、わたしは自分の真実に従うだけです。
もしわたしの中に
「音源を広められたら、わたしのワークショップにくる方が減る」という恐怖があるならばその思いを平和へと変容します。
「お金を払ってきてくださる方に対して不公平」という罪悪感があるならば、わたしのワークショップはライブが1番です。疑問質問はそこで解消できるからです。ライブでわたしのエネルギーと音に触れてください。
「個人情報」に触れるということがあるならば、ワークショップは何十人と集まる公の場です。そこで人に聞かれてはいけない個人の相談をすることはあるのでしょうか。
わたしはオンライン講座をしていますが、顔映りはシステム担当がプロとして配慮をしてくれています、音源は顔は映りませんから、その心配は無用でしょう。
「著作権」はどうでしょう
わたしが伝えているのは、著作権のない宇宙からの情報です。わたしはただの導管です。
もちろんなんらかの形で「受け取る」ことは「出したら、受け取る」という宇宙のサイクルの中で大切なことです。
わたしが降ろしている「イエス」や「ブッダ」は「著作権があるから降ろした情報は他言無用、シェア不可」と言わないのです。「感謝」という報酬を充分にもらっていると彼らは言います。
ワークショップのご料金をお金でいただくというのは地球での物々交換のシステムがあるからです。そうでなければわたしは「じゃがいも」でも「きゅうり」でも構いません。
「じゃがいも」がスーパーでお魚になるならば、ドックフードになるならばわたしはなんでもいいんです。
わたしは「エゴの奥で眠る自分を目醒めさせ、自分の人生を存分に生きること」をお伝えしていくことだけです。
わたしの音源を誰かから譲り受け、それによってあなたは「目醒めて生きる」と決めるかもしれません。
「覚醒」への最後のヒントを得るかもしれません。
「あなたが目醒めていく」それがわたしには「何よりの報酬」です。
わたしの音源に関しては「あなたの本質の愛と調和と平和」の元でどうぞご自由になさってください。
わたしの仕事はただ一つです。
「一人でも多くの方に宇宙の爆風の外、無条件の愛の意識」へと向かっていただくこと。
シェアについては、その方それぞれで良いと思っています。
それぞれの方にそれぞれ考え方があり、その方の真実なのでしょう。
だから、わたしは自分の真実に従うだけです。
もしわたしの中に
「音源を広められたら、わたしのワークショップにくる方が減る」という恐怖があるならばその思いを平和へと変容します。
「お金を払ってきてくださる方に対して不公平」という罪悪感があるならば、わたしのワークショップはライブが1番です。疑問質問はそこで解消できるからです。ライブでわたしのエネルギーと音に触れてください。
「個人情報」に触れるということがあるならば、ワークショップは何十人と集まる公の場です。そこで人に聞かれてはいけない個人の相談をすることはあるのでしょうか。
わたしはオンライン講座をしていますが、顔映りはシステム担当がプロとして配慮をしてくれています、音源は顔は映りませんから、その心配は無用でしょう。
「著作権」はどうでしょう
わたしが伝えているのは、著作権のない宇宙からの情報です。わたしはただの導管です。
もちろんなんらかの形で「受け取る」ことは「出したら、受け取る」という宇宙のサイクルの中で大切なことです。
わたしが降ろしている「イエス」や「ブッダ」は「著作権があるから降ろした情報は他言無用、シェア不可」と言わないのです。「感謝」という報酬を充分にもらっていると彼らは言います。
ワークショップのご料金をお金でいただくというのは地球での物々交換のシステムがあるからです。そうでなければわたしは「じゃがいも」でも「きゅうり」でも構いません。
「じゃがいも」がスーパーでお魚になるならば、ドックフードになるならばわたしはなんでもいいんです。
わたしは「エゴの奥で眠る自分を目醒めさせ、自分の人生を存分に生きること」をお伝えしていくことだけです。
わたしの音源を誰かから譲り受け、それによってあなたは「目醒めて生きる」と決めるかもしれません。
「覚醒」への最後のヒントを得るかもしれません。
「あなたが目醒めていく」それがわたしには「何よりの報酬」です。
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